ちょうど17年前の今頃、
私は“マジシャン”として初舞台を踏みました。
(画像は「神戸上屋劇場」にて)
ただ新しい手品を覚えることだけに熱を注ぐ毎日。
貧しくとも楽しく、希望に満ち溢れて。
手品の力を借りては、自分を大きく見せようと必死でした。
何を伝えたいわけでもなく・・・
でも
あの時代があったからこそ、今があります。
戻りたいとは思いません。
これまで沢山の挫折や苦悩を味わいました。
舞台の上での大失敗…
大切な人との突然の別れ…
緊張からくる持病の悪化…
不器用な自分と社会との摩擦による葛藤。
徐々に崩壊していく理想としていた未来像。
自暴自棄に陥っては何度も気が狂いそうになり…
夢や希望や目標、すべて見失い…
自信の欠片すら持てなくなって…
練習や勉強も全くする気がなくなり…
何も手が付けられなくなった時もあります。
お金が無く一日2個の氷砂糖で凌いだことも。
大好きが故の大嫌いも知りました。
それに
私はけっして手品がウマイわけではない。
むしろ下手くそ。
私より上手く演じる人はごまんといる。
それなのに
わざわざ“マジシャン”を名乗って…
最低限の自覚は持っていました(今も)。
だからでしょうか、
己惚れたことは一度もありません。
というより、その方法もわからない。
やがて、多くの疑問が沸々とこみ上げてきました。
気付けば、
“マジックの本質に近づきたい”
“この世の真実を知りたい”
…と、
自然とそう思うようになっていました。
心的に少しずつ“マジック”から離れてゆき・・・
すると、離れるほど全体像が見えてきました。
そして
行き着く先ではなく来た道を辿った先、
私の意識は、マジシャンの源流に向かっていました。
“神秘の旅”が始まっていたのです・・・
まだ旅の最中。
得体の知れない苦しみは今も続いています。
自分が何者なのかもわからぬまま。
だからこそ、試練は続くのかもしれませんね。
自己をより深く探るために。
はっきりとした夢や目標というものは、正直、
私にはありません・・・
悲観しているわけではなく、本当に何もないのです。
“中心”が全く見えない。
近づけば近づくほど、
ますますわからなくなっていく・・・
でも、
死ぬまで真実を探求し続けたい、
とは思っています。
それだけです。
“マジシャン”は“カタチ”。
その瞬間における“ひとつの役割”であり、
“ひとつの演出”であり、
私の大事な“入口”でもあります。
私はマジックは面白いと思いますし、
観るのも演じるのも好きは好きです。
ですが、
そのすべてが好きなわけではありません。
語弊のある言い方になってしまいますが、
マジック(現象)の一つ一つは、どうでもいい。
そんなものはどうだっていいのです。
それよりも、
自分の“心”がどうあるか。
私にとってマジックは、“注目させるための即興的手段”。
“やむを得ず使用する合理的手段”
あくまでも“手段の一つ”なのです。
“どう伝えるか”
そのためのアイテム。
目に映る景色や現象の奥に込めた“ことば”を、
どうか読み解いていただきたい。
2020.05.08
KANAME