アルブレヒト・デューラー『自画像』(1500年)

 

 
 

 

 
 

 

  
亀甲占いについてはこちらをご覧ください→
数秘と占星術「最古の占い」
蓬莱山についてはこちらもご覧ください→
数秘と占星術「富士山と蓬莱山」

 

 
画像:「蓬莱山図」掛軸(私蔵)
 
  
  
 
 
  
 
 
鶴岡八幡宮境内にある鎌倉国宝館にて開催されていた
特別展『仏像入門』(7/27~9/1)
 
鶴岡八幡宮にて撮影
2019年8月に訪れました
 
 足摺岬にて撮影
2019年9月に訪れました
 
亀は何を比喩しているのでしょう…
  
 四国第39番霊場赤亀山寺山院延光寺にて撮影
2019年9月に訪れました
 
 四国第45番霊場岩屋寺 法華仙人堂跡にて撮影
2019年9月に訪れました
  
写真:岩屋寺本堂へと続く山道にて撮影
 
 
  
  両界曼荼羅
金剛界曼荼羅(左)と胎蔵界曼荼羅(右)
画像出典:Wikipedia
チベット仏教における金剛瑜伽女の曼荼羅
画像出典:Wikipedia
 
 
一般的には、金剛界は精神世界(宇宙全体)、胎蔵界は肉体世界(人間界)
の仕組みを表したものとされています。
これら曼荼羅には、もっと奥深く高度な意味があると思われますが…
 
ひとつのカテゴリにはとても収まらない空海の底知れぬ才能と正体。
古代ギリシアのピタゴラスと同じく、空海にも空白の時間というもの
があり、未だ多くの謎や伝説に包まれています。
 
6世紀の半ばに日本に伝来した仏教。それから200年後、最澄や空海ら
遣唐使により日本にもたらされた密教(当時最先端の仏教)。
その密教のすべて(経典や品々)を授かり、わずか2年で帰国した空海。
知識だけの教にならぬよう、神髄を体得することを目指した空海は、
土木事業や学校設立など、人心の救済に手を差し伸べました。
 
『密教の呪術』(池口恵観著) の言葉を引用させていただくと
 
「長安に入ったお大師さまは恵果和上を訪ねると、恵果は「われ先に
汝の来るのを知る。あい待つこと久し」と空海を迎え入れ、その逝去
の直前に金剛界・胎蔵生両部の灌頂を授け、密教の奥義を伝授したの
である。 お大師さまが日本に請来した密教の強みは、その実践的な
呪力にあった。(省略) 宮廷において呪術は密教以前は陰陽道が中心
だったが、密教は奥行きの深い知識とそのスケールの大きさで、宮中
内でも重要な地位を築いた。(省略) 密教は大流行した天狗の信仰や
鬼信仰、死者の霊を祀る御霊信仰など、信仰を超えた文化として習合
化し、貴族や民衆の間に深く浸透することになる。」 P.66-67 
 
密教が日本独自の仏教、呪術として、世に広まっていったことが
わかります。
チベット仏教における金剛瑜伽女の曼荼羅
画像出典:Wikipedia
 
 
一般的には、金剛界は精神世界(宇宙全体)、
胎蔵界は肉体世界(人間界)の仕組みを表した
ものとされています。
これら曼荼羅には、もっと奥深く高度な意味
があると思われますが…
 
ひとつのカテゴリにはとても収まらない空海
の底知れぬ才能と正体。
古代ギリシアのピタゴラスと同じく、空海に
も空白の時間というものがあり、未だ多くの
謎や伝説に包まれています。
 
6世紀の半ばに日本に伝来した仏教。
それから200年後、最澄や空海ら遣唐使により
日本にもたらされた密教(当時最先端の仏教)。
その密教のすべて(経典や品々)を授かり、
わずか2年で帰国した空海。
知識だけの教にならぬよう、神髄を体得する
ことを目指した空海は、土木事業や学校設立
など、人心の救済に手を差し伸べました。
 
『密教の呪術』(池口恵観著)の言葉を引用させ
ていただくと、
 
「長安に入ったお大師さまは恵果和上を訪ねる
と、恵果は「われ先に汝の来るのを知る。
あい待つこと久し」と空海を迎え入れ、その
逝去の直前に金剛界・胎蔵生両部の灌頂を
授け、密教の奥義を伝授したのである。
お大師さまが日本に請来した密教の強みは、
その実践的な呪力にあった。 (省略)宮廷に
おいて呪術は密教以前は陰陽道が中心だった
が、密教は奥行きの深い知識とそのスケール
の大きさで、宮中内でも重要な地位を築いた。
(省略)密教は大流行した天狗の信仰や鬼信仰、
死者の霊を祀る御霊信仰など、信仰を超えた
文化として習合化し、貴族や民衆の間に深く
浸透することになる。」P.66-67 
 
密教が日本独自の仏教、呪術として、世に
広まっていったことがわかります。
 
エルサレム・シナゴーグ(ジュビリー・シナゴーグ)
 
1906年に建てられたチェコ共和国の首都プラハに
あるアールヌーヴォー様式の会堂。
「シナゴーグ」とは「集会」を意味するギリシア語
に由来する言葉。ユダヤ教の会堂です。
画像出典:123RF
   
 
 
 
 
 

 

 

 
  
 
 

 

 
  

 

 
古代エジプトについてはこちらもご覧ください→
数秘と占星術「エジプト暦」
 
 

 

2021年2月追記:

 
 

 
 

江戸東京博物館にて開催中の特別展
『古代エジプト展 ~天地創造の神話~』
           (会期 2020.11.21~2021.4.4)
 
国立ベルリン博物館群のエジプト博物館が所蔵する
コレクションの中から約130点が展示されていて、
今月2回に渡り行って参りました。
恐らくあと1回は行く予定…
 
エジプト神話の世界を導入に、日本初公開の品も
何点かあり、神秘的な世界観を演出していました。
 
撮影OKとのことで、今後の資料にもなるかと思い、
何枚か撮って来ましたので、その一部を
ここに掲載させていただきますね ↓ ↓ ↓
 
 
 
 
 
(横から)
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
兵庫県神戸市西区にある神出神社にて撮影
向かって右(阿形)の狛犬には角がありませんが、
向かって左(吽形)の狛犬には角があります。
 
私の故郷です…
2018年7月に訪れました
 
  
尾形光琳『風神雷神図屛風』
画像出典:Wikipedia
 
  
四国第58番霊場作礼山千光院遊仙寺
仁王門前にて撮影
2019年9月に訪れました
 
  
 
金剛力士はサンスクリット語で「ヴァジュラダラ」。
金剛杵(こんごうしょ)と呼ばれる武器を手に持つ者
という意味になります。

 

開口の「阿形(あぎょう)」像
閉口の「吽形(うんぎょう)」像
二体一対で寺院の表門などに安置されることが多く、
一般には「仁王(におう)」の名で親しまれています。
 
「仁王」は「二王」の意、つまり「二人の王(神)」。
一体誰々のことなのでしょうか…
寺院の仁王像と神社の狛犬。
発端は同じものなのでしょうか…
 
こうした一対・シンメトリーに物を配置する概念は
古代エジプトにみられます。
もし古代エジプトを起源とするならば…
ギザの大スフィンクスももう一体あるはず…
なのですが…
 
法隆寺仁王門の金剛力士「阿形」と「吽形」
画像出典:123RF
一部文章引用:Wikipedia
  
2019.10 追記:
 
 
法隆寺中門前にて撮影
現在は通り抜けできず、西院伽藍を拝観するには
廻廊の西南にある入口から入ります。
 
西院伽藍にある五重塔と金堂。
 
五重塔は、言わば供養のための塔(仏塔)。つまり
お墓であり、祈りを捧げる神聖な場所…。内部は
吹き抜けで中心部には塔と同じ高さの心柱が建て
られています。遺骨は地下に納められます。
元々は古代インドにおいて釈尊の遺骨(仏舎利)を
安置するための半球型の建造物でした。それが
中国に伝わり楼閣建築の形式を取り入れて高層化
するようになっていったといわれています。
卒塔婆(そとうば)とも呼ばれます。これはサンス
クリット語の「ストゥーパ」に由来。
 
法隆寺に建てられた五重塔はわが国最古の五重塔
として知られています。
 
五重…とは、五重の屋根のこと。
通説では五大要素(木・火・土・金・水、或いは
地・水・火・風・空)を表しているようですが、
これは中国よりもたらされた五行思想の影響が
多分にあるといえます。五芒星です…
Wikipediaには「下から地(基礎)、水(塔身)、火
(笠)、風(請花)、空(宝珠)からなるもので、それ
ぞれが5つの世界を示し、仏教的な宇宙観を表し
ている」と記されています。
 
大宝蔵院にて「法隆寺秘宝展」が開催されていま
した。(令和元年度秋季 9/22~11/30)
重要文化財や国宝など、貴重な宝物の数々が公開
されていました。
偶然にもこの期間中に来られてよかったです。
 
法隆寺東院に隣接する中宮寺本堂前にて撮影
 
尼寺として知られる中宮寺。本尊は如意輪観音。
本堂に祀られる如意輪観音像は、半跏の姿勢で、
右手の指先を軽く頬にあて微笑んでおられます。
優しく物思いに耽るお姿から「菩薩半跏像(半跏
思惟像)」と呼ばれることも。国宝です。
 
この半跏思惟像は飛鳥彫刻を代表する作品として
エジプトのスフィンクス、ダヴィンチのモナリザ
と並び「世界の三つの微笑像」の一つとも呼ばれ
ています。
ずっと前からこの目で見たいと思っていました。
やっとお会いすることができました。
早朝ということもあってか、堂内は私ひとり。
時間を忘れ…しばらく見入ってしまいました…
 
画像出典:木造菩薩半跏像 Wikipedia
聖徳宗中宮寺の公式ホームページはこちら
 
 
“柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺”  正岡子規
1993年12月、日本初のユネスコ世界文化遺産に
登録されたのがこの法隆寺。
世界最古の木造建築物として、その卓越した技術
構造に見え隠れする当時の文化の流れ、そして、
背景にあるもの…
飛鳥時代に聖徳太子によって建立された法隆寺
には、まだまだ多くの謎があります…
 
2019年10月に訪れました
 
  
 
  
画像出典:Wikipedia

 
  

 
    

 

 

 
 

 

  「五芒星と六芒星」の記事は今後も更新し続けます。
お時間あるときにまた訪れてみてください。

  
 

 

 

▼BACK    ▲TOP